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丁家老寨青餅2012年プーアル茶 その3

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丁家老寨青餅2012年プーアル茶

■老寨
農地からバイクで5分のところに老寨の村がありました。
山の上にあるので、見晴らし良く明るい場所でした。
老寨にはお茶の季節になると数軒の家に人が住み込んで、今もお茶づくりをしています。

地図について
丁家老寨の位置はgoogleマップに記されていないので、だいたいのところにマークしました。張家湾の老寨が向かいの山に見えていたので、位置はほぼ間違いないと思います。
+【西双版納の茶山・googleマップ】
なお、丁家寨が麻黒大漆樹の北側に表示されています。これはヤオ族の住む丁家寨の位置です。漢族とヤオ族のそれぞれに丁家老寨があります。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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丁家老寨青餅2012年プーアル茶

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

「こちらが私の母です。」
老寨では農家の主人のお母さんが挑黄片(茎や開いた葉を取り除く作業)をしていました。77歳だそうです。

麻黒村大漆樹での挑黄片は、天日干しの後に黄色く開いたままになった茶葉を取り除くことが主でしたが、 同じ易武山でもここ丁家老寨はちがいます。 茶葉をこすり取るような摘み方のため、長い茎がそのままくっついてます。それをひとつひとつ指でつまんで取り除く作業となるので、時間がかかります。しかしこれによって剪定をしないで済んでいるので、合理的なところがあるのかもしれません。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

おばあちゃんが話してくれました。
「昔はみんなよく働いたからね、日のあるうちは茶摘みだけして、夜はローソクの下で茎を取り除いたのさ。明け方まで仕事してちょっと寝てから、また茶摘みに出かけたよ。」

昔に高級茶づくりの形跡があるかどうか、こう質問してみました。
「新芽や小さな若葉だけを要求された時代はありませんか?」
「あったね。1960年~1970年代くらいかな。」

この話は、専売公社制の時代の国営孟海茶廠が輸出向けにつくった、茶葉を等級分けして再構成する「配方」を試みた名作の『緑字黄印七子餅茶』や『黄字黄印七子餅茶』の時期と一致しています。
それらに丁家老寨の毛茶も使われたのかもしれません。
しかし、1980年代から多くなる「小葉青餅」と呼ばれる『7542七子餅茶』や『7532七子餅茶』の形のそろった小さな茶葉は、どう見ても丁家老寨の茶葉ではつくれそうにありません。

丁家老寨のような大ぶりの茶葉の名作といえば、「大葉青餅」と呼ばれる『7582大葉青餅70年代』や『厚紙8582七子餅茶』です。
そうすると、大葉青餅の「大葉」とは、同じ茶山での等級分けからなるものではなくて、仕立て方の違う別の茶山のものだったことになります。
成長して大きな葉になると風味もそれなりに精彩を欠くのですが、大葉青餅の名作は春の華やかさが濃厚にあります。丁家老寨との一致は、偶然ではないと思えるところがあります。
【七子小緑印圓茶7542の散茶】 (配法のお茶)
【7582大葉青餅70年代プーアル茶】(大葉青餅)
【厚紙8582七子餅茶プーアル茶】(大葉青餅)

この後、農家の主人が老寨のすぐそばにある古い農地を見せてくれました。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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樹齢500年以上ありそうな巨大な茶樹がいくつもあります。原生林に入るともっと大きな茶樹があるそうです。1570年代に移り住んだ漢族の植えたものでしょうか、それとももっと前から居たヤオ族が育てていたのでしょうか。
ちなみに、ヤオ族はその当時から漢族にお茶を売る仕事をしていました。辺境地の茶業は民族が連帯しています。

この古い農地を所有する家は、今は年寄りだけになってしまって、手入れが出来ずに放置されています。
枝が増え、葉が多く付き、鍬入れもされていません。そのため3月中旬はまだ新芽の少ない状態でした。たしかにこの分だと、早春の風味の収穫を逃します。

ついでに、村のそばにある駐屯地跡を見に行きました。
1950年頃から1970年頃まで人民軍の駐屯地があり、多い時は100人ほどの部隊が駐在していたそうです。開墾から建設から米の栽培から鶏や豚の飼育まで、すべて自給自足の生活をしていたそうです。
農家の主人の話では、たまにラオスから山を越えて外国人が来たことがあり、この部隊に保護されているのを見たそうです。その顔はこのあたりにはない鼻の高い西洋人の顔をしていたと言います。
駐屯地は役目を終えたのか、1970年代に撤退し、今はなにも残っていません。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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ここで農家の主人があることを思い出しました。
「そういえば、ここの部隊の人たちに頼まれて、沱茶をつくったことがありました。礼品(ギフト)にしたみたいです。」
「その沱茶は250gのサイズですか?」
「いいえ10キロほどあったでしょう。その当時はいちいち重さを量らなかったのですが。」

そのサイズからして、おそらく「金瓜貢茶」のことだと思います。金瓜貢茶は易武山でつくられた代表的な貢茶(ギフト用のお茶)の形で、北京市の故宮博物院にも展示されています。部隊の人がこれを求めて礼品にしたのは、彼らが地元民ではなく、北京から派遣されて来た人たちだったからでしょう。

■製茶
丁家老寨の農地で一日摘んだ茶葉は、夕方に新寨に持ち帰って製茶します。それまで山小屋に鮮葉をひろげて涼しく保ちます。
バイクで山を降りるときには袋に詰めて20分ほどかかります。この間の振動によって茶葉の軽発酵が促され、袋の真ん中のあたりが熱を持って変色しそうな気がしますが、実際のところはごくわずかで問題ありませんでした。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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到着後すぐにひろげて冷まします。
山小屋でも同じように広げていましたが、これによって適度に水分が蒸発しながら萎凋(成分変化)効果で香りが甘くなり、殺青の仕上がりもよくなります。なので、摘みたてを火入れするよりも、しばらく寝かしておいたほうがよいのです。
食事を済ませてから作業の続きです。
なぜか料理をするのは農家の主人で、殺青・揉捻は女性陣の仕事でした。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

殺青は力がいるので女性でどうかな?と思いましたが、意外と上手でした。もっとも丁家老寨の大振りの茶葉はデリケートな技術を要しません。焦げ付いたり生焼けにならなければよいのです。
揉捻は自らやってみましたが、「醤」と呼ぶ茶葉の汁にとくべつ強い粘着力と油のような滑りを感じました。早春の成分の濃さが現れています。

揉捻の後に、昔やっていたという「堆積萎凋」をしてもらいました。この時点で茶葉はまだ水分を多く持っています。そのまま茶葉を盛って蓋をして一晩中保湿します。紅茶づくりの軽発酵に似ていますが、殺青の熱によって成分変化がほぼ止まっているので、変化は限られています。
「萎凋」については紅茶づくりのページを参照してください。
【巴達古樹紅餅2010年紅茶 その1 萎凋】

堆積萎凋について
実はこのことを「堆積萎凋」ではなく「渥堆」と農家は表現していました。
渥堆による発酵は現在は熟茶づくりの微生物発酵のことになるので、紛らわしいため、「堆積萎凋」と言い方を変えましたが、しかし熟茶づくりが始まるよりも丁家老寨のお茶づくりのほうがずっと古いので、もしかすると渥堆の語源がここから来ているのかもしれません。
【版納古樹熟餅2010年プーアル熟茶 発酵】

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

こうして次の日に晒干(天日干し)するのですが、その乾燥が早すぎると仕上がった毛茶に緑色が多く残ります。プーアール茶の原料となる毛茶にこの緑色の多いのは好まれません。ゆっくり乾燥して灰色っぽくなったほうがよいのです。
これは単に色の好みの問題ではなく、茶葉にある水分と太陽光線との関係が成分変化を左右するのだとわかってきました。つまり緑色に仕上がるのと灰色に仕上がるのとでは風味が違うのです。

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

丁家老寨青餅2012年プーアル茶

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つぎの日、晒干するための笊に茶葉を広げます。
一晩堆積萎凋した茶葉の山を崩すと、紅茶づくりの軽発酵のときと同じような鮮味のある甘い香りがしました。真ん中あたりに感じた熱は人肌より少し冷たいくらいです。
どうやら効果があったようです。
晒干はなるべくゆっくり乾くように、半日陰の場所に置かれます。直射日光に一日中晒して早く乾燥してしまうよりも、軽発酵のすすんだ状態に仕上がります。

■その4 圧餅 (まだつづきます)
+【丁家老寨青餅2012年プーアル茶 その4】


丁家老寨青餅2012年 1枚 380g


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