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南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶 その2

nan nuo mi lan qing bing cha

南糯古樹青餅プーアル茶

■思想
今年のテーマは「栽培」です。
栽培に残された技術から、易武山の甘いお茶について考えてみました。
そして、お茶の味には当時の人々の思想が見え隠れしてきました。
+【漫撒古樹青餅2013年プーアル茶】

茶は農作物の中でも古くから遠くへ運ばれてきました。
発動機が普及する前の時代に、 陸路では馬の背に乗って数千キロ。海路では風ですすむ船で地球を半周以上も旅していました。
易武山の甘いお茶をつくった人々とそれを求めた人々は、遠く離れて、言葉や生活習慣は異なりますが、ひとつの共通点が見つけられます。
それは「道教」です。
易武山をお茶どころにした瑶族(ヤオ族)は、古い道教の神とされる「盤古」を信仰していました。そのお茶を求めた南方の漢族や、海の交易に従事した東南アジアの華僑には道教が浸透していました。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

瑶族と漢族に宗教的なつながりが直接あったのかどうかは知りませんが、道教は来世よりも現世にこそ利益があるとして、食にもおおらかなことから、お茶の甘味が快楽的であると、否定はしなかったはずです。
また、虚にこそ実があるとするような、なにごとにも相対的なものの見方をする道教の美意識は、易武山の「無い味」との相性が良いような気もします。
+【無い味/お茶の鑑賞】

この観点からすると、メコン川を境にして西側にある古い茶山に関係した人々は、思想が少し異なります。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯山を含む西側のお茶は、古い仏教が求めた過去があります。
遠い昔にここにお茶どころをつくった布朗族(ブーラン族)は古い仏教の徒でした。 (南糯山は後に愛尼族が農地を受け継いでいます。)
そしてここから馬の背に乗せて山をいくつも越えて茶を交易したチベットやネパールや北インドの遊牧民族たちも古い仏教の徒でした。
「この世は苦である」
とする仏教が苦いお茶を求めたと言うと語呂が良すぎますが、質素倹約を美徳とする仏教が快楽的な甘味をわざわざお茶に求めたとは考えられません。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶
写真: 西双版納 八角亭

南糯山の茶葉が現在のプーアール茶づくりに使用される1980年代以前までは、蒸してつくる緑茶が多かったことからしても、香りに甘味を求めるような工夫はしなかったと裏付けられます。
2010年のお茶づくりでもそのことに触れています。
+【南糯古樹青餅2010年プーアル茶 その4】

また、古い仏教では長寿の僧侶が大事にされてきました。樹齢数百年の古茶樹が大事にされてきたことには、なにかつながりがあるのかもしれません。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶
写真: 西双版納各朗和の「ハクサ山」にある大きな茶樹

現在の一般的な生茶のプーアール茶の製法による南糯山のお茶は、濃く煮出すと渋味・苦味が強くなり、飲みにくいと感じるほどです。これは新芽や若葉が多用されているためです。口にして一瞬で広がる強い茶気があり、たくさん飲み過ぎると胃が悪くなったり眠れなくなったりします。
しかし、かつて茶馬古道を運ばれたお茶は、新芽や若葉ではなく「粗茶」でした。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶
+【沈香老散茶50年代プーアル茶】

粗茶は若葉が育ちすぎて大きく開いたものや、長い茎の部分が多く含まれます。新芽や若葉の溌剌とした茶気には乏しく、渋味・苦味の刺激がいくぶん穏やかで、旨味成分が多いことから、煮出して飲むのに適しています。

また、このお茶を求めたのは仏教だけではありません。
西双版納は現在でも回族の多い土地です。唐代から元代にかけて交易の盛んなときに移り住んだイスラム圏の人々ですが、孟海県には現地のダイ語(古いタイ語)を母国語とする回族もいるほど古くから根を張っています。
西双版納のお茶がイスラム圏に輸出された明確な記録がないのは、運搬の中継にたくさんの人々が介在したからだと思われます。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

しかしそれはあったはずです。
なぜなら、清代の頃の雲南省南部の膨大な茶の生産量を吸収できるほどの消費地は、世界にひとつやふたつでは足りないからです。
様々なルートから様々な地域へ届いていたと推測できます。
東南アジアの港町のイスラム教徒のお茶は、コンデンスミルクを混ぜたり、ハーブやスパイスで香り付けをしますが、いずれも粗茶を煮出したお茶がベースになっています。(現在はインドの紅茶が使用されています。)

孟海県のお茶は一時期ロシアとのつながりもありました。
典型的な大きな葉の雲南大葉種は、インド北東部のアッサム地方のアッサム種に性質が似ています。その強い渋味・苦味を軽発酵でやわらかくコクのある風味にする紅茶づくりの製法は、西洋人の口にも受け入れられました。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

1940年代に南糯山のお茶は紅茶に加工されていたことがあります。
この紅茶は、一時期ロシア(当時ソ連)に輸出されていました。
+【南糯山の老茶廠・写真】

このように、飲む人が異なるとお茶の味も異なります。
人々の嗜好の違いが背景にありますが、思想には人の嗜好をコントロールできるほどの力があったのではないか?そんな時代もあったのではないかと思います。
物質主義に傾向している現在の我々には想像しにくいことですが、精神を重視した時代は、お茶の味ひとつとっても人々は深く考え、渋味・苦味をどう解釈するかについて、思想に基づくなんらかの答えをもち、そしてその答えがお茶の味に宿り、今もなお残っているのではないでしょうか。

生茶の餅茶としてのプーアール茶づくりは、1980年頃からはじまったとされる南糯山の茶葉。その強い茶気のある新芽や若葉をふんだんにつかって、煮出すのではなく淹れるタイプのお茶。この新しいタイプのお茶の味には、まだ明確な答えが出ていないのかもしれません。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

■半発酵
南糯山のお茶をもっと甘くしたいと考えていました。
10年も20年も熟成させてようやく甘いお茶になるのではなく、1年か2年で十分に甘い。甘いと言っても甘い雰囲気のことで、実は苦くてもよいのです 。
孟海県の巴達山の苦いお茶が、紅茶にすると甘く華やかに変身したように、それに近づける半発酵は、南糯山の茶葉の性質にも合うはずです。

2012年の春からこのことを言いだして、失敗してもよいとして、5月の茶畑の2番摘みで試したところ、これが数回ですんなりうまくいったのでした。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

葉底(煎じた後の茶葉)は全体的に黄色く、ところどころオレンジがかった発酵のすすんだ色が現れています。ポツポツと黒い焦げ跡の見えるのは、鉄鍋で手炒りしたことによるものですが、焦げ臭みはありません。
柑橘系の爽やかな香り。口に含むとほのかに桃の香り。ベースにしっとりした苦味と渋味が香りを支えて、これまでの南糯山の生茶とはちがった印象が生まれました。
風味だけでなく飲んだ後の体感もちがってきます。アウトレットで『夏の薫る散茶』と名付けて出品したこのお茶は、「胃にやさしくて飲みやすい」とお客様からご感想をいただきました。成分もまたまろやかに変化しているようです。

そしてつぎの年になる今年の2013年は、春いちばんの旬の古茶樹で半発酵させたものをつくる。夏の薫る散茶よりもっと質の良い素材である古茶樹。なにか特別な風味が期待できるかもしれません。

南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶

■その3 製茶(つづき)

+【南糯蜜蘭青餅2013年プーアル茶 その3】

南糯蜜蘭青餅2013年 1枚 380g


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