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【オリジナルのお茶の記録】


南糯古樹青餅2010年 その4

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南糯古樹青餅プーアル茶

■思案
機械製茶をどう解釈するかです。
手づくりが良いと信じてきたので、そこを曖昧にはできません。

しばらく考えてから、機械製茶は問題ないとしました。
なぜなら、高級茶づくりの歴史の浅い南糯山を含む孟海県では、まだこれから製茶技術の試行錯誤があっても良いはずだからです。

以下の枠内の文章はその考察です。
長いので興味のない方は飛ばしてください。

南糯山のある孟海県の高級茶づくりは近年はじまったばかりです。
地域ぐるみの宣伝活動によって、昔から高級プーアル茶がつくられていたような印象がありますが、史実は異なります。

南糯古樹青餅2010年

高級茶の歴史は、西双版納孟臘県(モンラー)の易武や象明など、メコン川の東側にあります。西側の孟海県ではありません。

明朝末期の1570年頃から漢族の入植者によるお茶づくりが東側の孟臘県ではじまりました。喫茶文化の発達していた漢族の参加により、易武や象明のお茶は遠方の都市に向けて取引されます。
西洋との茶交易全盛期の清朝1700年代には、孟臘県のお茶が貢茶に指定されます。貢茶は皇帝に献上という建て前で転売され、国の財政を支えたお茶です。そのお茶は都市生活者の嗜好に合わせて栽培や製茶の技術が凝らされたはずです。

一方で、西双版納全域にはそれよりも古くから茶馬古道交易のお茶がありました。チベットやインドに運ばれたそれは遊牧民が栄養を補う生活のお茶でした。南糯山で古くからつくられたのもそれです。

南糯古樹青餅2010年

沱茶(お碗型の固形茶)や磚茶(レンガ型の固形茶)などに加工して、ミャンマー・チベット・ネパール・インドなどの辺境地へキャラバンが運び、時代によっては税収を稼いだり軍馬を集めたりしましたが、基本的には民族同志の物々交換です。つまり生活のためのお茶です。

東側の高級茶が国に大きな収入をもたらしたことは、東側の易武や象明の史跡を見ると明らかです。西側の茶山にそうした史跡はありません。

西側のお茶づくりが変化するのは1900年頃、清朝が弱体化し、関所のプーアール県を通らずにお茶が流通しだしてからです。
その頃から孟海県に茶荘が集まり、お茶づくりをはじめました。売り先はチベットやインド方面がほとんどですが、一部メコン川を下るルートから海路で華南地方に流通したようです。

南糯古樹青餅2010年

その後さらに大きな変化が1940年頃にあります。南糯山の石頭寨にイギリスの合資による茶廠(メーカー)ができ、大きな蒸し釜とイギリス製の製茶機械が導入され、緑茶と紅茶がつくられました。
紅茶がつくられたということは、西洋の都市向けに輸出されたということです。茶馬古道のお茶ではありません。

1949年に成立した中華人民共和国の農業改革によって、国営メーカーによる量産体制がはじまり、輸出向けのお茶づくりはそれに引き継がれます。
しかし、その国営茶廠時代につくられた高級茶のほとんどが易武山などの東側の茶葉が使用されていました。

南糯古樹青餅2010年

西側の茶葉が孟海茶廠の高級茶に使われ出したのは1990年頃からだと思います。
西側の南糯山で鉄鍋で炒る製法がはじまったのは、1988年頃という話を地元の老人から聞いたので、それとだいたい一致しています。

ちなみに、東側のお茶づくりでは漢族が参加した頃より以前から鉄鍋で炒る製法が普及していました。
南糯山では、それまで茶葉を蒸していたのです。伝統的な竹筒茶は、蒸した茶葉を竹に詰めています。

1970年頃から孟海茶廠ではじまった熟茶づくりには、はじめから西側の茶葉が使用されていました。それもそのはずで、熟茶はもともと生活のためのお茶を量産するのが目的で生まれた、茶馬古道の延長だったのです。

これらを合わせて考えると、
小さな茶荘が高級茶をつくるような歴史は西側にはなく、高級プーアール茶づくりは始まったばかりなのです。

南糯古樹青餅2010年

南糯山の農家の機械殺青の試みも、可能性を探るひとつです。
古茶樹は産量が限られているので、機械を導入したからといって生産量が劇的に増えることはありません。古式の自然栽培がダメになることにはならないでしょう。
このように考えて、機械製茶に問題なしとしました。

南糯古樹青餅2010年

■品茶
機械殺青はお茶の味にどんな効果があるのか?
いまいちどその観点で「品茶」をしてみました。
手炒りでつくった『巴達古樹青餅2010年プーアル茶』と比べてみました。おなじ西側でも風味の印象は異なります。

南糯古樹青餅2010年

葉底(煎じた後の茶葉)にも現れているように、まず揉捻の差があります。揉捻が強いと、よりおっとりした風味になります。揉捻が弱いと風味がストレートに出やすくなります。
しかこの南糯山のお茶は不思議と辛味はなく、風味におっとりさを維持しています。

南糯古樹青餅2010年

南糯山で生の茶葉を齧ったときに感じた「淡麗で清い苦み」は、揉捻の効果ではなく、もともとあったものなのです。
では「殺青」による火の通り具合が違うのか?

巴達山のお茶には火の味がありますが、南糯山のこのお茶には火の味がほとんどしません。そして、淡麗の特徴が維持されています。火入れ加減のなにかが違うのです。

南糯古樹青餅2010年

当店は鉄鍋で手炒りするのを注目してきたため、機械の殺青技術をじっくり観察したことがありませんでした。
しかもそれが古茶樹となると、過去にその例がどこにもないのです。いちど現場で製茶を見てみたくなりました。火入れの温度、時間、茶葉の撹拌の速度、そこになにか特徴がありそうです。

南糯古樹青餅2010年

南糯山の農家にたのんで、製茶を再現してもらうことにしました。
訪問するその日は朝から茶摘みをして鮮葉を用意しておくようにお願いしました。

■その5 製茶(つづき)

+【南糯古樹青餅2010年 その5】


南糯古樹青餅2010年 1枚  380g


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