■概要
製造 : 2011年12月1日
茶葉 : 西双版納州孟臘県易武山麻黒村大漆樹寨
製茶 : 大漆樹寨の農家
茶廠 : 孟海県の茶廠
工程 : 生茶のプーアル茶
形状 : 餅茶 385gサイズ
保存 : 西双版納―上海
当店のオリジナル品です。
+【当店オリジナルのお茶について】
■はじめに
このお茶は、昔の高級茶の伝統技法を再現しています。早春の新芽と若葉だけの、強い茶気を秘めた清澄な風味が堪能できます。
以下の文章は読まなくても、美味しく飲めます。
■無い味
西双版納の易武山には高級茶の歴史があり、過去の名作は博物館に収蔵されるほどのものまであります。
しかし、この15年くらいはこれといった名作が出ていません。理由はいろいろあると思いますが、今回はお茶のつくり方の変化に注目しました。
2011年の易武山のお茶には「無い味」を求めてみました。
無い味とは、はっきりしないけれど、たしかに美味しい味です。この風味が、伝統的な高級茶づくりの技法と関係しているかもしれないと考えました。
易武山の上質には、とらえどころのない美味しさがありながら、お茶づくりをする人たちは同じひとつのところを目指しているように思います。
+【無い味/お茶の鑑賞】
■過去
易武山のお茶は、明代(1368年-1644年)の喫茶文化の影響を受けています。
経済も文化も発展していた都市の生活者が求めた「緑茶」や「烏龍茶」の洗練された風味には、自然を求めながらもそれを超越しようとする時代の姿勢が感じられます。
もともと雲南地方にシルクロード時代からあったお茶は、辺境地の遊牧民の栄養補給に利用されたお茶でした。厳しい自然と闘う生活が求めたお茶と、繁栄を謳歌する都市文化が求めたお茶と、その風味には大きな違いがあったはずです。
現代のプーアール茶の製法や飲み方は、この明代の都市からもたらされた様式を継承しています。
そして、農家の茶の栽培方法にも北に展開して繁栄していたお茶どころからの影響が見られます。世界でもっとも古いお茶どころとされる南の果ての西双版納にありながら、易武山の一帯の農地は、管理方法や茶樹の仕立て方に違いが見られます。
それがどのようにお茶の味に影響しているか?
近年のお茶づくりで忘れられていることが、そこにあるかもしれません。
■采茶(茶摘み)
2011年の春は全体的に遅めになりました。
植物は農暦にしたがって生きているので、西暦での発芽の日は毎年変わります。そのうえさらに天候も影響して、茶摘みの始まる日ははっきりしません。すこし早めに山に上がって、農家と共にその日を待ちます。待っている間は道具の手入れなどをしています。
昨年2010年の茶摘みは3月1日からはじまりましたが、2011年は3月7日になりました。
前日の3月6日の午前中に少しだけ雨が降り、それで茶葉の成長に勢いがついたみたいで、翌日3月7日には新芽がいっきに増えていました。
空は快晴。ようやく春いちばんの茶摘みがはじまります。
「茶は南方の嘉木なり」
というのは、『茶経』を書いた陸羽の言葉ですが、春いちばんの茶山は緑がキラキラ輝き、喜びあふれる光景になります。
今回の采茶は、茶葉のまだ小さいのや少し大きくても開きたての軟らかいのだけを選ぶことにしました。
「一芽一葉」と教科書どおりに選り分ける手もありますが、早春は一芽一葉でも時間が経って古く堅くなったものもあるので、形で選ぶと効率が悪くなります。それよりもわかりやすい色や質感を優先しました。
つまり「挑茶」を行ったのです。
「挑茶」は、昔の高級茶づくりに使われていた手法です。
近年の易武山の古茶樹で挑茶を行うと高価になりすぎ、また手間がかかりすぎて農家が嫌がるせいか、この10年くらいの製品にはっきり挑茶のわかる製品は見つかりません。そういうオーダーがあったという噂を聞くことはあっても、おそらく少量すぎて、広く流通する製品にはなっていないのでしょう。
当店の扱った古いお茶では、
+『92紅帯青餅プーアル茶』(1992年)
+『真淳雅號圓茶96年』(1996年)
このふたつが「挑茶」されたことがわかる高級茶です。いずれも1990年代のものです。
もともと茶葉がまばらな古茶樹で、しかも若葉がまだ小さいうちに茶摘みをすると、せっせと手を動かしても収穫はいつもの半分以下です。茶葉が小さいと重量がありません。実際に試したところ、1日の収穫量は4月の春の収穫が多い時期の3分の1程度でした。
「3倍の値をつけましょう。」
農家にそう提案しました。麻黒村の茶葉は易武山の中でも高値のつく有名寨子ですが、もしかしたら当店がこの春で最初の高値をつけたかもしれません。
10年前なら破格の好条件ですが、現在は大きく育った雨季の茶葉を混ぜ合わせてもよく売れるので、農家からしたら特別良い条件とは言えないでしょう。それに、高値をつけても量が限られるので、農家の生活が楽になるほどの収入にはなりません。
■ほんとうの旬
挑茶も大事ですが、采茶のタイミングはもっと大事です。
一般的に春の旬は1ヶ月間あると言われていますが、現場で茶摘みを体験すると、はじめの数日だけが特別で、その後は質の落ちてゆくのが手に取るようにわかります。香りも色も輝くような旬は、本当は短いのです。
3月になるとだいたい10日に1回は雨が降ります。雨の周期はだんだんと縮まってゆき、6日に1回、3日に1回となり、4月中頃にはほとんど毎日1時間くらいは雨が降り、雨季に入ります。
気温が上がってくるほど雨が多くなり、茶葉はよく成長します。しかし成長が早いと、強い茶器と清澄な風味をつくる成分が薄くなり、高級茶としての価値はなくなります。また、製茶の晒干(天日干し)工程が、雨のせいですっきり仕上がらないのも質を下げる要因です。
「茶摘みをはじめてから雨が一日降るような日があったら、今回はそれで終わりにしましょう。」
農家と話し合ってそう決めました。何キロと定量をオーダーするのではなくて、いちばん良いタイミングの分だけをすべて買い取るという約束です。
3月6日に少し雨があって、その翌日から茶摘みが始まったので、運が良ければそれから10日間くらいは収穫できる計算でした。
結局、それは6日間しかありませんでした。
雨が降ったのは8日目ですが、7日目の茶葉は8日目の太陽で晒干するためボツになりました。2011年の易武山の春いちばんは、たった6日間だったと言えます。
そうなると、6日間でいかに多くの新芽や若葉を摘み取るかが課題となります。もしも、昔の高級茶づくりに春いちばんが求められたとすると、切り戻しや剪定によって高さのそろえられた易武山の古茶樹の仕立て方は、その収穫のために計算された栽培方法だった可能性があります。
いっせいに芽を吹いてやわらかい若葉がそろい、タイミング良く采茶できるのは、この仕立て方だからこそです。
お茶づくりの古い西双版納のメコン川から西側の孟海県には、森の中に自由に枝を伸ばして大きく育つ古茶樹が多く、その野生的なイメージで人気がでています。しかし、そうした野生に近い状態のものは新芽の出てくるタイミングが遅く、また足並みがそろいません。春いちばんはポツポツとまばらで、あっちの枝こっちの枝、こっちの樹あっちの樹と摘むことになり、そうしているうちに気温が上がって雨が降り、すぐに4月となり春が終わります。つまり、孟海県の古茶樹の仕立て方では、春いちばんの収穫が難しいのです。
このことは南糯山の2011年のお茶づくりでも触れています。
+【南糯山神青餅2011年プーアル茶 その1】
1800年代からの易武山の銘茶『宋聘圓茶』や『同興號』、1950年代の銘茶『紅印圓茶』は、現在一枚約350gが100万円を超えるキングオブプーアール茶となっています。
通説では、これらの茶葉は野生茶樹から収穫されたことになっていますが、春いちばんの新芽や若葉を集めるには現実的ではありません。実は切り戻しや剪定などの手入れをした茶樹でつくられたのではないか?そう仮定してみると、いくつかつじつまが合います。
銘茶と知られているからには、それなりの量がつくられたはずです。農家一軒で采茶したくらいでは間に合いません。おそらく村じゅうで集めたにちがいありません。
たとえ摘み手をたくさん集めたとしても、茶樹の仕立て方に工夫がないと、特別な風味をつくるのは困難です。
■その2 製茶
+【易武春風青餅2011年プーアル茶 その2】
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