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【オリジナルのお茶の記録】


南糯古樹青餅2010年 その2

nan nuo gu shu qing bing cha

南糯古樹青餅プーアル茶

■南糯山へ
南糯山は手ごわいという印象が業者にはあるはずです。
孟海県の六大茶山の一つに選ばれているうえに、西双版納の中心の景洪市やメーカーの集まる孟海鎮からも近いので、遠方からのお茶ファンや業者がいちばんはじめに案内されるところです。

南糯古樹青餅2010年

長い付き合いになる見込みのない客は適当にあしらえばよいという考え方があります。一度きりの取引に少量の良い茶葉を提供する義理はありません。逆に言うと、常連客を大切にしているのですが、近場ゆえにスレていて、プロにとっても難しく感じる場所です。

南糯山に住む山岳民族は愛尼族(アイニ族)と布朗族(ブーラン族)が多く、32の寨子(集落)があり、ほとんどが台地茶(新茶園)の量産茶づくりに携わっています。山のいたるところに大きな古茶樹がポツポツありますが、まとまった数の集まっているのは、半坡寨・Y口寨・巴拉寨・向陽寨・老石頭寨などの古い集落に近いところです。

南糯古樹青餅2010年

とくに奥地の海抜1800メートル付近の森林の古茶樹の群生は、山の精霊を見るような迫力があります。しかし、そこを案内してくれる農家がまさにその樹から採取したと言わんばかりに見せる毛茶に、本物は期待できないことを業者仲間から聞いていました。
5月になって古茶樹は茶摘みが終わっているので、それを見て確かめることができない今回は、あらかじめ毛茶を鑑定できるようにしておきたいところです。

専門家ですら偽物をつかまされるケースが多いので、誰かが言うホンモノを信用するわけにはゆきません。こうなると経験しかないので、サンプルをいろいろ集めて比べました。今年の春に早くも餅茶をつくった茶荘の製品、地元のお茶好きが親戚の農家を頼って入手した毛茶、孟海の茶廠に持ち込みされた毛茶、そして自ら南糯山へ行くたびにあちこちの農家から集めていた毛葉など。
片っぱしから飲み比べして、葉底(煎じた後の茶葉)を見て、これこそ本物と思うのをピックアップしてゆきました。

南糯古樹青餅2010年
南糯古樹青餅2010年

その過程で、台地茶(量産の茶畑)の茶葉を化学肥料で太らせて古樹茶に似せた(写真左)毛茶があるのを知りました。それをつくった農家が自らが教えてくれたのですが、葉底に色の違いが見つけれらるものの、茶葉の厚みや茎の太さはそっくりで、毛茶の段階ではプロでも判別できないレベルでした。

この偽モノはギフト用の製品づくりに使用されます。ギフトの習慣のある中国では見た目でバレることのない値ごろな上等品に需要があります。本物の古茶樹では価格が合わず量も足りないので、このような工夫が生まれます。贈りものに上等なしといったところでしょうか。

話はそれましたが、やはり知人のオフィスのものは本物であると確信しました。そしていよいよ農家を訪問することにしました。

南糯古樹青餅2010年

このときすでに5月末でしたが、早春の毛茶はまだあるか?と農家の主人に電話で尋ねると、「まだ残っている」という意外な返事だったので、おやっ?と思ったのですが、2010年の早春は古茶樹の価格が高騰したので、有名茶山の一部でキャンセルが出ていたことを思い出しました。

しかし、この農家に訪問したのはさらに先の6月に入ってからのことでした。
春が過ぎていたので急いではいません。来年の準備のつもりでいたのです。

■農地の管理方法
寨子(集落)は南糯山のかなり奥地でした。
途中に超えた峠は海抜1860メートルに達していました。峠から見える向こうの山は「格朗和」という地名で、広大なサトウキビ畑が山の斜面に広がっています。

空は青く広く、積乱雲が何本も沸き上がり遠雷をとどろかせ、雲ごと降りてくるような雨を降らせています。まさしく亜熱帯の雨季の空です。

格朗和の峠を超えてさらに南へ向かうと、布朗山の有名茶山「班章」に達します。南糯山の南の端のほうまで来ていました。
農地に到着すると、そこには予想以上に大きな古茶樹が群生していました。

南糯古樹青餅2010年

樹齢500年以上と思われる堂々たる古樹が20本ほど。ひとまわり小さな300年以上のが100本ほど。いずれも茶摘みのときに足をかけて登りやすいように、幹の低いところから枝を曲げて横へ這わせる「枝ふり」栽培の特徴が現れています。重い石を詰めた袋が枝にぶらさげてあります。
横に広がる枝はぐねぐね湾曲して、存在感たっぷりです。

南糯古樹青餅2010年

南糯山には樹齢1000年と推定される古い茶樹もあります。1000年も前から茶摘みをしてきたことがこの「枝ふり」で証明されています。それは化石や遺跡ではなく、今も生き続けている植物です。

人間の世代交代が、例えば30年で1世代と計算したら、1000年は33代目ということになります。定住型の生活でお茶の栽培をしてきた南糯山の愛尼族(アイニ族)には、56代まで遡ってお茶づくりをしてきたという言い伝えをもつ人がいるそうです。

南糯古樹青餅2010年

西双版納の茶農家は個人経営です。
そのためすべての農家が同じ考えをもち、同じ心がけでいるとは限りませんが、訪問したこの農家は古式の自然栽培を守っていました。農薬や化学肥料は使われていません。有機肥料も施されたことがありません。

自然のエネルギー循環だけで1000年以上もバランスを維持しているわけですから、農業は偉大です。

南糯古樹青餅2010年

農地に入ると虫刺されがひどく、じっとしていられません。茶園の真ん中にある25メートルを超える巨木にはミツバチの巣があり、ブンブン唸る羽音が空を覆っています。体にとまるのを無意識に払いのけたりすると、チクリと痛い目にあいます。3箇所も痛い目に会いましたが、共に生きるとはこういうことだと学びました。

茶葉を摘んでそのまま齧ってみると、やはりあの淡麗で強い苦みがありました。試飲のときのあの毛茶に違いありません。

南糯古樹青餅2010年

この農地を見てあることに気がつきました。
それは古茶樹の農地に畝づくりの台地茶やトウモロコシ畑や小さな野菜畑が隣接していることです。森の中にとつぜん家庭菜園がぽつんとあるような感じです。

一般的に古茶樹のあるところは他の作物がなく、まれに畝づくりの台地茶の土地が隣接しているくらいなので、ちょっとしたスペースにトウモロコシ畑や家庭菜園まであるというのは初めて見ます。

南糯古樹青餅2010年

なぜここに野菜畑があるのか?と聞くと、あちこちの農地を行き来する時間を短縮できて、茶摘みに集中できるからだそうです。
旬の茶摘みの期間は短いので、睡眠時間すら惜しいほど忙しくなります。山奥の交通不便な場所で、野菜や肉を売りに来る業者もいないので、自給自足が基本です。トウモロコシ畑は家畜の飼料、野菜畑は家族で食べる用で、いずれも農家の生活に欠かせない作物です。

これは理想的な農地かもしれないと思いました。
さらに、家から歩いて5分の距離にあることも利点です。多くの場合古茶樹のある農地はもっと離れていて、歩いて20分、場合によっては1時間くらいかかるところもあります。近いのは便利なだけでなく、茶葉の鮮度を保つことが容易です。

黄色く変色した茶葉がほとんど見当たらなかったのは、茶摘みの袋の底に長く放置され、発熱して傷む暇がなかったせいでしょう。

南糯古樹青餅2010年

農地の中央には小屋があります。
采茶(茶摘み)の茶葉を整理したり、食事をしたり、突然の雨をしのぎます。春の季節には茶葉泥棒の監視のために、ここに寝泊まりするケースもあります。
小屋を活用するのは農地が家から遠い場合に多いのですが、歩いて5分のこの小屋は、摘みたての鮮葉を広げたりして、品質の向上に利用されています。

農地といい小屋といい、この農家には合理的な考え方がありそうです。
この後に見学する製茶現場では、さらに新しい試みを発見します。

■その3 圧餅(つづき)

+【南糯古樹青餅2010年 その3】


南糯古樹青餅2010年 1枚  380g


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