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早期紅印春尖散茶プーアル茶

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早期紅印春尖散茶(プーアル茶・プーアール茶)
早期紅印春尖散茶(プーアル茶・プーアール茶)

早期紅印春尖散茶プーアル茶
2013年02月27日 終了

製造 : 1950年代末期
茶廠 : 孟海茶廠
茶山 : 易武正山
茶樹 : 大葉種 喬木
茶葉 : 3級
工程 : 生茶 (乾倉保存)
重量 : 散茶のためグラム売り
倉庫 : 香港乾倉ー台湾常温乾倉(1991年~)

甘味
●●●●○
渋味
●●○○○
とろみ
●●●●○
酸味
●●●○○
苦味
●●●○○
香り
●●●●○
蘭香、花蜜香、棗香、樟香、橙香、糯米香
熟成度
●●○○○ 倉庫での熟成やや弱め<

美味しさにおいて最も評価の高い「紅印圓茶」の散茶としてつくられたものです。
「採辧春尖」、「加重萌芽」の当時の製法により最高の旬の季節の新芽と若葉だけを集めた丁寧なつくり方がされています。古茶樹を使用しての茶葉の選別は時間のかかる手作業となり、過剰な労働を農家に強いるため、現在ではこのつくり方は難しくなりました。
1950年代、雲南のお茶づくりの歴史が動いた、まさにプーアル茶のビンテージ品です。

■このお茶の歴史

1700年代からはじまった易武山での貢茶づくりは1920年代~の内戦や日中戦争と太平洋戦争、その後ふたたびの内戦と続いて、一時衰退しました。1949年に中華人民共和国が誕生し、農業や商工業の社会主義改革がはじまり、お茶作りはようやく回復に向かいます。
しかし雲南の茶葉は国の統一買い付け、統一販売の専売品となりました。国営工場のみがプーアル茶の販売を許され、その指定を受けたメーカーの一つである「孟海茶廠」は、西双版納の孟臘県(モンラー)で最高の原料を集め、看板商品となる「紅印圓茶」を作りました。
民営の小規模なお茶作りが、国営の大規模なお茶作りへと変わってゆきます。当時の政策では農産物も大衆化と量産化を求められましたが、外貨を稼ぐことのできる輸出品については、一部でそれに反する高級なお茶づくりが許されたようです。
参考ページ
+【沈香老散茶50年代プーアル茶】

当時の中国はまだ工業発展する前の時代で、しかも雲南地方は山岳地帯が90%を占めるため、農業が主な産業です。貧しい時代に外貨を稼げる高級茶は大きな収入源のひとつでした。上質なプーアル茶は国営の貿易会社を通じて海外に販売されます。
1990年頃まで上質なプーアル茶は中国国内には流通せず、自由貿易港として栄えた香港を経由して海外に流通しました。

早期紅印圓茶・プーアール茶
専売公社の中茶牌ブランドの「八中茶」の「茶」字は、現在では多くの廉価な餅茶が受け継いでいるデザインですが、当時は輸出向けの高級茶に使用されたブランドです。
「中国茶業公司雲南省公司」の中茶牌ブランドの包み紙で海外へ販売されます。

香港の茶商はこの上質な茶葉を見逃しませんでした。輸出先のヨーロッパやロシアの茶商よりも、今振り返ってみると目利きが上だったということになります。折しも1950年代の香港では、茶楼(飲茶レストラン)ブームが到来していました。現在の香港の飲茶は点心料理が主役ですが、当時の飲茶はお茶一杯に点心二種を食べる形で、お茶が主役でした。茶楼は美味しいお茶を競い、より良いものを茶商に要求し、茶商はそれに応え、雲南のメーカーに茶葉や加工方法まで注文をつけました。
このお茶「早期紅印春尖散茶」は香港のどの茶商が扱ったのかはもはや調べがつきませんが、「敦煌茶楼」が貴賓用に所有していたというところまでは分かっています。敦煌茶楼は今はもう存在しない茶楼(飲茶レストラン)です。1968年に開業、2002年頃に閉店されたと伝えられています。1991年に台湾の茶商がこの紅印散茶を何十斤まとめて買取り、現在その一部が当店にあります。

1950年代、専売公社の中国茶葉総会社(中茶牌)は、需要と供給のバランスなどを一切考えず、作った分だけ配給していたそうです。豊作のときは必要以上に割り当てられた茶葉を、香港の茶商は仕方なく倉庫に保存して寝かせるしかありません。プーアール茶の倉庫熟成が大規模に行われだしたのは、この頃だと推測できます。「紅印圓茶」の出現する1950年代以前につくられていた高級茶、易武山の民営の茶荘のお茶には、やはり香港経由で輸出されたのも多かったはずですが、倉庫熟成品の数が「紅印圓茶」に比べると極端に少ないのも、この話の裏付けになります。

「早期紅印春尖散茶」が当時の印級(最高クラス)のお茶の中でどのような位置付けにあるのかを説明するために、孟海茶廠の歴史を以下に簡単にまとめました。
紅印圓茶は1940年代から作られた説と、1950年になってから作られた説がありますが、決定的な情報がないため、ここではその論議はせずに曖昧なまま紹介します。しかし1940年代は世界的に戦後の立ち直り時期のため、高級茶づくりが試されていたとしても、まだ数は少なかったのではないかと思われます。

孟海茶廠の歴史:

1940年
「佛海実験茶廠」創業(工場長:范和鈞)
1941年
第一回の「テン紅茶」を試作(この頃、プーアル茶は製造していない)
1942年
日中戦争、太平洋戦争のため休業
1944年
再開されるが、戦争のためまもなく休業
1949年
「佛海茶廠」中茶マーク紅印を試作(中華人民共和国成立)
1953年9月14日
「孟海茶廠」に改名(西双版納自治区誕生、孟海県の茶廠となる)
紅印の生産開始。
2004年
「孟海茶廠」が国営企業から民営企業に転身

早期紅印圓茶・プーアール茶

孟海茶廠初期の印級プーアール茶:

40年代早期~中期
早期紅印圓茶
50年代中期 ~末期
緑印(甲乙級)俗称:藍印(甲乙級)
50年代末期
少量の紅印散茶(今回紹介するこのお茶のこと)
60年代初期
中茶マーク大緑印
俗称:宋体字藍印圓茶
中茶マーク小緑印
中茶マーク小緑印

早期紅印圓茶

紅印の歴史:

40~50年代初期
早期紅印圓茶
50年代早期~中期
後期紅印圓茶
無紙紅印(試作品)
包紙のある紅印圓茶よりは安い。
50年代末期
後期紅印圓茶
少量の紅印散茶
(今回紹介するこのお茶のこと)
~70年代早期
紅印の包装紙は8~9種類
それぞれに呼び名がつけられています。
甲級紅印:
・宝藍版(鮮やかな藍色)
・深藍版(深い藍色)
・修正版
・普通版
早期紅印:
・一点紅紅印  大字紅印
中期紅印:
・中字紅印 細字紅印
末期紅印:
・超細字紅印 無字圓筒圓茶

■このお茶の茶葉について

「早期紅印春尖散茶」の「春尖」とは早春の3月~4月初旬までの春摘みの、1芽3葉で摘み取られる新芽とまだ小さな若葉だけを選別した特級に相当する茶葉です。

早期紅印春尖散茶プーアル茶

春茶摘み
(三月~五月上旬)
「春尖茶」 清明節(二十四節気の一つ、新暦の四月四日から六日頃以前のもの。墓参りの習慣がある。)
「春中茶」穀雨(四月二十日ごろ)~立夏(普通、五月五、六または七日)
「春尾茶」小満(五月二十一日または二十二日)後

夏茶摘み
(六月下旬~八月上旬)
「黒條茶」
「二水茶」 雨季後の乾燥した頃

秋茶摘み
(八月下旬~十月上旬)
「果花茶」清の頃の名前は「女兒茶」

「紅印」の原料となった茶葉は、孟臘県の旧六大茶山で一番質の良いものが使用されました。この当時の孟臘県は、孟臘県鎮および易武鎮を含みます。
1950年当時は樹齢数百年の古茶樹が標準です。古茶樹は肥料も足すことのない古式の自然栽培です。
茶葉は、「採辧春尖」、「加重萌芽」、「精工燻揉」。つまり香りの良い新芽と若葉が多くなるように追加配合して、手作りで丁寧な加工がされます。

紅印圓茶50年代
紅印圓茶50年代
紅印圓茶50年代
紅印圓茶50年代
「紅印圓茶」の製法では、一芽二葉をベースに「加重萌芽」(新芽や若葉を足す)されているので、一芽二葉の大きめの茶葉や太い茎が餅面(餅茶の表面)から見つかります。


早期紅印春尖散茶プーアル茶
早期紅印春尖散茶(このお茶)
一方で、「早期紅印春尖散茶」には太い茎の部分がほとんどありません。このことから新芽や若葉だけを選出された茶葉がこの散茶に相当し、なんらかの理由で、圧餅されずにそれが散茶のまま保存されたのではないかと見ています。
もしくは、ヨーロッパ向けの高級茶として出す場合、すでに需要のあった「雲南紅茶」と同じく、散茶として販売されたのかもしれません。

柔らかい新芽や若葉は手作業の「揉捻」が強くかかるため、一つ一つの茶葉が細く捻れています。茶摘は通常一芽三葉で行われますが、そこから新芽や若葉だけを選出する作業はたいへんな根気と手間のかかる仕事です。お茶作りのコスト管理を厳しくしないと、農家の経営がやってゆけない現在ではなかなか難しい仕事となっています。
近年は新茶園の若い茶樹では新芽や若葉だけを摘み取る方法もあり、また機械による殺青や揉捻ができるため、比較的簡単に新芽と若葉のお茶が作れますが、古茶樹の茶葉で作るのとはまたく異なる次元の品質です。

早期紅印春尖散茶(プーアル茶・プーアール茶)
早期紅印春尖散茶(プーアル茶・プーアール茶)
早期紅印春尖散茶プーアール茶
葉底(煎じた後の茶葉)です。
古茶樹の茶葉は新芽や若葉も厚みがありふくよかです。易武山の茶葉は年数が経つほど赤味のある栗色へと変化します。
春尖散茶の名前の通り、「加重萌芽」による新芽の先の尖った部分が多くあります。1芽3葉で茶摘されたそのままでは、このような新芽や若葉の茶葉の割合は少ないのですが、このお茶「早期紅印春尖散茶」はほとんどがその新芽や若葉です。
よく見ると、茶葉の表面に小さなイボイボのようなのがあり、ヒキガエルの肌のようだと表現されます。これも古茶樹の茶葉を長期熟成し、僅かながらも金花などお茶を美味しくする菌類の活動があった場合に現れる特徴のひとつです。

■このお茶の試飲について

早期紅印春尖散茶プーアール茶
早期紅印春尖散茶(プーアル茶・プーアール茶)
香りに濃い蘭香と淡い野樟香があります。
古い木の皮のような香りです。
にじみ出る茶湯の色は赤身が強く、透明感があります。
味のバランスは完璧です。

早期紅印春尖散茶プーアル茶
早期紅印春尖散茶プーアル茶
はじめの3~4煎めまでは、水の色(お茶の湯の色) あっさりと淡く淹れてください。赤味が強く出るくらいになると、味が濃すぎ、繊細な風味を損ないます。
4煎め以降くらいからは、赤い色になるまで煎じても、バランスが保たれ、多少濃くても薄くても美味しく飲めます。
このクラスのお茶に忘れてはならないのが「喉ごし」の味わいです。まろやかで濃厚ながらも、するすると喉を滑り落ち、清らかさが感じられます。

■飲み比べ

早期紅印春尖散茶プーアル茶と紅印圓茶50年代プーアル茶飲み比べ
早期紅印春尖散茶プーアル茶と紅印圓茶50年代プーアル茶飲み比べ
上 : 早期紅印春尖散茶 (このお茶)
下 : 紅印圓茶50年代

早期紅印春尖散茶プーアル茶と紅印圓茶50年代プーアル茶飲み比べ
早期紅印春尖散茶プーアル茶と紅印圓茶50年代プーアル茶飲み比べ
早期紅印春尖散茶プーアル茶と紅印圓茶50年代プーアル茶飲み比べ
左: 早期紅印春尖散茶 (このお茶)
右: 紅印圓茶50年代
湯を注いだときに立ち上るかすかな香り、口に含んだ瞬間に広がる樟香、じわじわとにじみ出るような旨味、すっと消え入るような喉越し。すべてが良く似ています。
新芽の多い「早期紅印春尖散茶」(このお茶)は、新芽の持つ苦味が効いてやや重みのある風味となっています。
葉底(煎じた後の茶葉)は似ています。色や質感の具合から、この2つのお茶はほぼ同じ年代、同じような保存環境にあったと推測できます。
「早期紅印春尖散茶」(このお茶)は散茶として保存されていたせいで、茶葉の形を失って屑になった茶葉が混じり、それが茶湯を少し濁らせますが、風味にはあまり影響していません。価格差が9倍もあるため、この散茶は値ごろ感があると思います。

■その他

早期紅印春尖散茶プーアル茶
早期紅印春尖散茶プーアル茶
茶虫の繭(まゆ)があります。
白い綿のような繊維が茶葉にからみついて、茶葉がくっついています。これは、品質を下げるものではありません。そのまま煎じて飲んでいただいてもまったく問題はありません。あらかじめご理解のうえ、お求め下さい。
+【茶虫の跡のあるプーアール茶】

※新しい情報があれば、このページに文章を追加または変更します。最新の情報は、このページをご確認ください。

早期紅印春尖散茶プーアル茶
2013年02月27日 終了

茶葉の量のめやすは以下をご参照ください。
+【5gの茶葉でどのくらい飲めるか?】

保存方法については、以下のコーナーをご参照ください。
+【プーアール茶の保存方法】


つぎにこのプーアール茶はいかがでしょうか?
真淳雅號圓茶96年
+【このプーアル茶の詳細】


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