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水藍印七子餅茶70年代

shui lan yin qi zi bing cha 70s

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶

水藍印七子餅茶70年代 1枚 約380g
2010/01/01 終了

製造 : 1970年代中期
茶廠 : 鳳慶茶廠もしくは孟海茶廠
茶山 : 鳳山茶区
茶樹 : 大葉種喬木
茶葉 : 4~6級
工程 : 生茶
重量 : 380g
倉庫 : 香港乾倉ー台湾常温乾倉

甘味
●●●○○ 甘露
渋味
●●○○○
とろみ
●○○○○
酸味
●●○○○
苦味
●●●○○ 特別な苦味
香り
●●●●○ 荷香、棗香、橙香
熟成度
●●○○○

紅茶の茶葉で作られた、実験的な試みのあるお茶です。
口に入れた瞬間に、閃光のように広がり消える苦味は、鳳山の茶葉の風味です。

鳳山は、雲南省西南部に位置し、海抜は約1700メートル。そこの茶葉は細くやわらかく、苦味が強いのが特徴とされています。
清朝(1616-1911)の時代、鳳山は順寧府に属しました。中華人民共和国の成立後(1949年10月以後)順寧府は臨滄地区に属するようになり、鳳慶県へと改名しています。
光緒末年(1908年)、順寧府の太守(官吏名)と当地の知名人は、茶の樹の栽培を提唱し、雙江「孟力」庫の茶子(苗木)を鳳山に植え始めました。
30年ほど経った1940年頃から、茶葉の収穫量が増えてゆきます。気候、環境が良く、生産量もどんどん増え、年生産量は約250万市斤(約1250トン)に達します。この茶葉のほとんどが紅茶に加工されます。

雲南の紅茶
雲南の紅茶
雲南の紅茶「デン紅」。
新芽が使われ、花のような甘い香り、蜜の甘味、やさしい渋味。プーアル茶の力強い風味とは対照的ですが、プーアル茶の生茶の出涸らしのやさしい風味とに共通点が見つけられます。

鳳山は瀾滄江(メコン川)の流域にあります。ここからの舟に乗れば、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイへは水路で物資が流通します。鳳山の茶葉はタイのバンコクまで運ばれています。


メコン川は、タイ北部のゴールデントライアングル付近と、東部のラオス、ベトナム国境線を流れており、タイのバンコクを流れる河とはつながっていないはずです(地図で見た限りでは)。途中からは陸路だったのか、それとも、いったんベトナムから海へ出て、また河をさかのぼってバンコクというルートだったのかもしれません。ともかく、鳳山からタイのバンコクまで約1000キロメートルほどあるそうです。
当時は、雲南省の西双版納からタイへ移民した人も多く、漢民族が中心の華僑は、お茶を飲む習慣があるので、バンコクにはプーアル茶も多く運ばれ、お茶市場までがあったそうです。

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「福祿貢茶」について
タイと関係のあるプーアル茶といえば、「福祿貢茶」です。
曼谷(バンコク)の鴻利公司は、1950年代に、雲南省鳳山の茶葉の餅茶をオーダーし、メコン川ルートでタイのバンコクに運びました。
水藍印七子餅茶70年代の話からは少し寄り道になりますが、以下「福祿貢茶」のエピソードをまとめました。

参考文献:
『方圓之縁-深探緊圧茶世界』 118ページ~125ページ
筆者:曽至賢氏 2001年1月出版を参照
壺中天地雑誌社出版 『普「シ耳」茶』 170ページ~171ページ
著者:鄧時海氏 1995年12月出版を参照

福祿貢茶
福祿貢茶
1950年代、雲南の茶葉の取引が国営化される前の、民営の茶荘のつくった名作です。しかし長い間このお茶はタイでつくられたプーアル茶であると誤解されていました。
「福祿貢茶」の内票には「BANGKOK」という英文字が印刷され、「泰京嵩越路」と、タイの茶廠の宛て先住所も書いてあります。「福祿貢茶」は、「泰国普(シ耳)」タイのプーアル茶と思われて当然です。
1955年にタイのバンコクから香港に運ばれましたが、タイのプーアル茶と解釈されていたので、買い手がすぐにみつからず、いったん茶商の倉庫に入ります。香港の茶商は辺境茶(国境地帯)に興味がありません。数年後にようやく、香港中環の「陸羽茶楼」がしぶしぶ買い取り、また古い新聞紙で包装して、倉庫に積んでいました。古い新聞紙の日付は、1959年となっていることが後に見つかっています。
1990年代末期になって、香港の茶商や小売店が年代モノのプーアル茶の入手が難しくなった頃、香港の上環の「林奇苑茶行」は、「陸羽茶楼」からまだタイのプーアル茶と思われていた「福祿貢茶」を買い取りました。

その後、内票に「鳳山舊年雨前春茶」と文字があることが見つかり、いろいろ調べられた結果、この鳳山は雲南省のものと判明し、「福祿貢茶」の原料茶葉は雲南の茶葉であり、正真正銘のプーアル茶であることが確認されました。

内飛(茶葉に埋める四角い紙)。 サイズは5×7.5cmです。
緑色「寿」字商標があります。
7枚一組で、白紙紅字の内票があります。内票のサイズは9×13cmです。
「福祿貢茶」は原料の茶葉の質が良いので「貢茶」と呼ばれます。「福祿貢茶」も餅身(餅茶の形状)は、厚めで、ずっしりとしています。
「福祿貢茶」はまたの名を、福祿寿大吉大利餅茶と呼ばれます。「大吉大利」は万事好都合の意味です。
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■「水藍印七子餅茶70年代」について
参考文献:
五行圖書出版有限公司 『プーアール壺藝 4期』 118ページ~125ページ
筆者:陳智同氏 2002年11月出版
雲南科技出版 『普「シ耳」茶続』  38ページ~39ページ
著者:鄧時海氏 耿建興氏 2005年8月出版

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
この「水藍印七子餅茶70年代」は「福祿貢茶」と同じ「鳳山」の茶葉でつくられています。鳳山の茶葉は、ほとんどが紅茶にされるので、プーアル茶にされたのは「福祿貢茶」以来だったのではないかと言われています。
1950年代の「福祿貢茶」と、1970年代の「水藍印七子餅茶70年代」の間に起こった歴史的な変化から、この二つには少し違いがあります。

1958年からはじまった「生産大躍進」と1966年からの「文革大革命」は、プーアル茶作りに大変な影響を与えました。野生の老茶樹は、品質や生産効率が悪いとされ、その多くが伐採されました。
1950年代の 「福祿貢茶」が作られた当時は、茶葉は野生の老茶樹のもので、木に梯子をかけて茶摘がされていました。「水藍印七子餅茶70年代」は、若い樹を植えなおした新茶園となります。若い茶樹の茶葉は、葉をたくさんつける分、少し小ぶりになり、やわらかく、風味のやさしいのが特徴です。

1948年中華人民共和国成立後、1950年代前後から、農業や商工業の社会主義改革による国営化がはじまり、小さな民営の茶荘のお茶作りは、国営の茶廠に引き継がれました。「福祿貢茶」は、民営の茶荘のつくったものですが、1970年代の「水藍印七子餅茶」は、その当時国営だった孟海茶廠の製品であるということになっています。しかし実際は、民営の小さなメーカーが作ったと推測されます。1950年代後半から、民営の茶荘は自由に仕事ができなくなっていますが、一部の民営メーカーは、国営工場の下請けをして、お茶作りを続けていました。

「順寧茶廠」(その後「鳳慶茶廠」に改名)は、1938年鳳山の凹鞍處(鳳山のふもと)に創業し、紅茶を作っていました。
このメーカーが孟海茶廠からの依頼で、「水藍印七子餅茶70年代」をつくったと推測されます。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
内飛(茶葉に埋める四角い紙)。
「西双版納ダイ族自治州(孟力)海茶廠出品」と書いてあります。孟海茶廠がつくった印ですが、このお茶の仕上がりの技術的なところで、つじつまがあわないことがあります。
一般的には内飛は茶葉の外に見えるようにされるものですが、これは茶葉の中に埋め込んであります。なにか技術的な問題があるのかもしれません。 この内飛の写真は、崩したときに取り出したものです。
印刷の特徴は「州」字の点と縦劃を交錯しています。「出」の字の、上の「山」が小さく下の「山」が大きいデザインで、この時代のものです。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
餅身(餅茶の直径)は約23cmあり、重量は作られた当時は400gありました。同じ時期の他の餅茶は約19CM、360gです。1970年代にして最大の餅茶です。さらに、圧延が緩いため、年を経るごとに餅身は大きくなっています。
包み紙の外枠の円の線が、餅茶を包んだときにピッタリと側面にくるのですが、「水藍印七子餅茶70年代」は、その線からはみ出すほど大きな円盤となっています。
孟海茶廠は、1970年代には多くの銘柄の餅茶をつくっていますが、このような型、このような圧延の茶葉はひとつも見当たりません。

しかし、それでも孟海茶廠がつくったという説もあります。鳳山の茶葉を孟海茶廠に運送してから加工した可能性もあります。それは、鳳山の茶葉以外が混じっているような様子があるためです。鳳山の鳳慶茶廠がつくったのであれば、他の茶区の茶葉が混じる可能性はないはずです。
すでに1970年頃から、いろいろな茶区の茶葉や、収穫時期の異なる茶葉をブレンドしてプーアル茶をつくる「配方」の技術のあった孟海茶廠では、他の茶山の茶葉を混ぜて作ることがあります。
この当時はお茶づくりの権利が限られた国営茶廠にしかなかったため、出品はどちらにしても当時国営の孟海茶廠からとなります。したがって、孟海茶廠がつくったという文献の記述は間違いではありません。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
上: 餅茶表面の茶葉
中: 餅茶裏面の茶葉
下: 側面の茶葉
餅茶の圧延がゆるいこと、表面や裏面の処理が甘く、表面の質感が粗いこと、これらの様子からも、孟海茶廠の他の餅茶との共通点がありません。ただし、「水藍印七子餅茶70年代」の多くは、七枚組みのものが型崩れしたり、餅茶の包み紙が破れたり、保存時の取り扱いが悪いのか、それとももともと崩れやすいものだったのか、とにかく、綺麗な形の残っているものは少ないです。そのため、餅茶の表面も、もとは綺麗だったかもしれませんが、途中で崩れて、粗くなっている可能性もあります。これが成型の技術の差であったとしたら、やはり孟海茶廠の技術ではないと思えるのです。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
上:「水藍印七子餅茶70年代」 このお茶
下:「黄印7542七子餅茶」
孟海茶廠の表面の仕上げとは、大きく異なることが分かります。

以下は、鑑定のための包み紙や印刷の特徴です。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
包装紙は「画仙紙」が使用されています。
薄い紙で、透けて見えることと、縞があるのが特徴です。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
「雲南七子餅茶の字」
外包みの印刷、「雲南七子餅茶」の「七」の字です。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
「八中茶」マーク
外包みの印刷の中央にある「茶」の字。
「八中茶」商標の緑色の「茶」の字は手押しの印鑑で、インクの色もひとつひとつ異なります。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
「中国土産畜産進出口公司雲南省茶葉分公司」
「中国」の「中」の字の「口」の部分が、タテに長い文字のデザインになっています。これを 「大口中」版と呼びます。1960年代末期~1980年代中期まであるデザインです。その時期インクの技術や包装紙の質はまだよくないので、文字のインクがにじんでいます。
余談ですが、年代モノの七子餅茶の鑑定書である『深邃的七子世界』五行圖書出版有限公司出版の182Pで紹介されている「七子水藍印」の包み紙は 「小口中」版です。1970年代には 「小口中」版のほうが少ないのですが、 それもあるということだと思います。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
「中国土産畜産進出口公司雲南省茶葉分公司」
「公司」の「司」の字の「一」が右の片にくっついています。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
左の内票が「7542七子餅茶80年代中期プーアル茶」
右の内票が「水藍印七子餅茶70年代」 このお茶
「水藍印七子餅茶70年代」内票のサイズは12×15cmとやや小さめです。内票の紙の色は黄色っぽくなっています。字体は簡体字です。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
上の内票が「水藍印七子餅茶70年代」 このお茶
下の内票が「7542七子餅茶80年代中期プーアル茶」
文章記号のタイプミスがあります。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
煎じたときの茶湯です。
湯は淡栗色です。多くの茶の茎が浮かんできます。茶の茎の部分は、保存熟成時の発酵に栄養をあたえ、空気を通し、茶葉に良好な熟成環境をつくります。
味には、軽快な苦味があります。口に入れた瞬間に、渋みや甘味の先にくる苦味は、他のプーアル茶のあとから舌に残るような苦味とは違うものです。何煎かすると、苦味が薄くなり、甘味が前に出てきます。樟香や梅香もあり、それらの風味は、1970年代の孟海茶廠の餅茶の生茶とよく似ています。予備知識なく、このお茶を孟生茶廠のものとして出されても、そのとおりと信じるでしょう。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
水藍印七子餅茶70年代プーアル茶
葉底(煎じた後の茶葉)
茶葉にはまだ弾力があり、活き活きとしています。
葉底から見ると、茶葉の色が大きく異なるものが混じります。それが、鳳山の茶葉以外のものと思われる原因です。しかし、同じ茶山のものでも、新芽と、大きな葉の部分の色が違うこともあります。また、もしかしたら、鳳山の茶葉でも、陳年茶葉(収穫時期の異なる茶葉を、緑茶の状態で倉庫で一定期間寝かせていたもの)をブレンドしているのかもしれません。この色の違いだけで、茶山の判別はできません。

この「水藍印七子餅茶70年代」は、1990年代初期に香港にあったものを、台湾のコレクターが入手し、2005年に昆明の小売店に渡り、2007年10月に上海に届きました。
「福祿貢茶」とおなじく、「水藍印七子餅茶70年代」も、タイのバンコクの茶商が仕入れた記録があります。作られた半数が、バンコクの茶商の倉庫に、半数が香港の茶商の倉庫に届きました。バンコクにあったのはほんの一時期で、そのすぐ後に香港の茶商にすべて渡ります。バンコクのものと香港ものは、包み紙の印字の色がちょっと異なるのと、七枚一組の竹の皮の包みを縛る素材が、バンコクのものは竹紐(葦)であり、香港のが針金とされています。
この「水藍印七子餅茶70年代」は、七枚組みの竹の皮がない1枚ごとになったものを入手したため、バンコクを経由したかどうかはわかりませんが、包み紙の印刷の色から見ると、バンコクを経由していない、香港直送のものに近いと思われます。

水藍印七子餅茶70年代プーアル茶

また新しい情報があれば、ここに文章を追加してゆきたいと思います。

水藍印七子餅茶70年代 約290~310g

茶葉の量のめやすは以下をご参照ください。
+【5gの茶葉でどのくらい飲めるか?】

保存方法については、以下のコーナーをご参照ください。
+【プーアール茶の保存方法】

+【店長にメール】


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+【このプーアル茶の詳細】

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