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プーアル茶の生い立ち
後発酵の風味はいつ頃から?


紀元前から雲南地方で飲まれていたとされるお茶ですが、
それがいつから現在のような熟成風味を楽しむプーアル茶となったのか?この謎は、まだはっきりとは解明されていないようです。

清の時代 1600年代初期の雲南地方の茶葉の流通が記録された文献に出てくるお茶は、緑茶です。
いったん緑茶になったものが、菌類による発酵なのか、それとも成分変化の熟成なのか、それが起こるきっかけがあったと思われることが記録された文献があります。その二つの文献を参考に、できるだけわかりやすく文章をつくりました。個人的な解釈をたくさん含んでいますので、間違いもあるでしょうから、後に正しい情報を得て訂正することもあります。
■WEBサイト 『論プーアール餅茶的起源之謎(一)』 作者:凱亜氏
■書籍 『雲南プーアール茶』  (雲南科技出版社:周紅杰氏編集)

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プーアル茶らしきものがはじめて文献に登場するのは、
三国志の時代(220-280年)からです。

魏明帝(227-233年)
「明帝太和中博士」(いまでいう学者)を担任した張揖が『廣雅』という本を著しました。「三国」時期に登場した「餅茶」が、プーアル茶の起源であるという意見があります。
しかし、ここでは緑茶として紹介されており、跡から発酵したお茶である証拠がありません。
また、プーアル茶の里の雲南の茶葉は、その山に住む少数民族が、薬用に香辛料などといっしょに煎じて飲んでいたようで、味を求められるようなものではなかったようです。

唐代(618〜907年)
「茶聖」と呼ばれた陸羽が『茶経』という本を著しました。そこで登場する「団茶」が、歴史書での初登場のプーアル茶という意見もあります。
唐(618-907年) 宋(960-1279年) 元(1271-1279年)
この3つの時代をとおして、「団茶」は親しまれています。
しかし、ここでも後から発酵したと思われる記録がありません。団茶は緑茶を固めただけのものであり、現在の生茶に近いものと思われます。乾燥状態が保たれている限り、大きな変化はありません。

そして、
1616以降の清の時代の初期、その当時のお茶の流通事情を記録した文献『プーアル茶記』に、茶葉に変化があったと考えられる記録が登場します。

ここから先は、その清の時代のエピソードになります。

清の時代、雲南から北京にお茶が献上されていました。
このお茶は雲南緑茶です。 熱を通して酸化発酵を止めてあり、出荷される段階では後発酵した様子はありません。

春摘みの最もよいお茶、「芽茶」「蕊茶」「宮廷団茶」が献上されました。
「芽茶」 (一級半分、二級半分晒青毛茶)
「蕊茶」 (一級晒青毛茶)
「宮廷団茶」 (特級晒青毛茶)

そして、その残りの茶葉が、雲南の緑茶として一般に広く流通し、遠くはチベットまで運ばれます。この一般に流通した雲南の緑茶の製造と運搬の過程において、後から味が変化した、熟成の風味のあるお茶となるヒントがあります。

茶山から採取された茶葉は、 茶農家のもとで、まずは「殺青」(シャーチン)といって、加熱によって酵素類の活性を破壊して、茎や葉が酸化して赤くなるのを防止する処理がされます。これは緑茶の製造工程のものです。 殺青には、鍋で炒る、高温の蒸気で蒸す、茹でる、の3つの方法がありますが、この当時は鍋で炒る形でした。

殺青 殺青
殺青の後は、 「揉捻」(ローニィエン)といって、茶葉の形を保つために、茶葉を揉んでよじった状態にします。これも緑茶と同じです。

揉捻 晒青毛茶
その後、長く日光にさらして、「晒青毛茶」(シャィチンマオチャ)が作られます。「晒青毛茶」は、大葉種の茶の木から採取された、優良品質の茶葉につけられた名前です。日光にさらすのは、水分を飛ばすためです。

こうして緑茶となった茶葉が、散茶(バラバラの茶葉の状態)で雲南の産地(六大茶山)の茶農家のもとから運び出されます。車のない当時は、人と馬が運びました。

茶馬古道
茶馬古道

そのときに竹かごに詰められますが、乾燥した茶葉が運搬中に動いて、茶葉同士が摩擦し、形が壊れるのを防ぐために、少量の清水を吹きかけ湿らせます。包装の前の8時間程度、まんべんなく湿らせるために、ひっくり返しては清水を吹きかけるということが繰り返されます。
これによって茶葉は水分を含み、柔軟になるので、竹かごに押し込められても形を壊すことなく運べることになります。

ここで緑茶の茶葉は、多くの水分を含んだ状態になります。この水分によって、2つの変化が起こる可能性があります。

1.  菌類が活動して、発酵する。
2.  ごく緩慢な成分の変化がおこる。

雲南の産地から運び出された茶葉は、いったん集散地の「プーアール」(小さな町の名前)あるいは「思茅」(小さな町の名前)に運ばれます。人が運ぶと約12日間。馬が運ぶと約6日間かかったと言われます。その間にも、おそらくは変化がすすんだことでしょう。この発酵は、温度を上げたりはしないので、冷発酵や軽発酵と呼ばれています。

集散地では、大小さまざまな「総茶店」(現在のメーカーと商社の両方をあわせたような業者)があって、ここで、圧延加工されたりして、国内外に販売されてゆきます。
圧延加工には、「蒸圧」という高温の蒸気をつかって茶葉を型にはめて圧延する技術が使われます。この技術は現在のプーアル緊圧茶(餅茶、磚茶、沱茶)と共通するものです。集散地から、はるか遠くの辺境地域まで馬で運搬するために、小さく固める必要があったのです。
もうひとつ圧延加工の利点があります。散茶のままで運搬すると、茶葉と茶葉が摩擦し、傷みやすくなりますが、固形茶は、茶葉同士が摩擦することはありません。

圧延したお茶は、竹の皮で包装されます。この竹の皮も水で湿らせ、柔らかくしたものが使われました。この水分もまた、茶葉の変化に影響したことでしょう。

茶馬古道 茶馬古道
集散地からチベットへ、お茶と馬の交易の道、「茶馬古道」です。
茶山からいったん集積地のプーアル(思茅)に集められ、そこから景谷―景東―南澗―祥雲―麗江―シ真蔵線(「シ真」は一字)の茶馬古道は、最終目的地のチベットの拉薩まで達します。この道(集散地〜拉薩)は全行程で100数日間を必要としました。
『中国語WEBサイトで見つけた茶馬古道』

山あり谷ありの高地をゆくその行程の空気は乾燥して、亜熱帯にしては気温は低いのですが、竹の皮の中で茶葉は水分を保ち、緩慢な変化をつづけます。チベットに入った時点では味はさらに変化し、それは独特な陳香と濃醇の湯色となりました。多くのチベットの人たちはこれを好み、この味こそが、熟成の風味を楽しむプーアル茶の原点となったと思われます。

陳年茶葉 陳年茶葉
茶葉が圧延加工される前に、主に成分の変化によって熟成されるのは、「陳年茶葉」に似ています。「陳年茶葉」は、メーカーの倉庫で緑茶の状態の茶葉を1〜2年寝かせたものを、圧延加工するもので、様々な銘柄のプーアル茶に使用されている手法です。陳年茶葉をつかった代表的な「7582大葉青餅プーアル茶」のページもご参照ください。
【7582大葉青餅プーアル茶】

その後のプーアル茶の味の歴史
1950年頃、1970年頃、1990年代後期と、その後3回にわたって、プーアル茶の歴史が大きく動きました。
【プーアール茶の味を変えた歴史】

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